時期外れの嵐の名残りが、時折窓ガラスを唸らせる。
昨日あれだけ降り続いた雨も、少しは穏やかになったようだ。


腕の中で気持ち良さそうに寝息を立てる少年が、
自分を慕って涙していたのが、まるで嘘のようだ。
無防備な寝顔を晒しているアレンは、間近で見るとより一層幼く見える。


大人が何人集まっても倒せない化け物を、
その腕で一瞬にして倒してしまうなど、
誰も想像が付かないだろう。
神田はアレンの寝顔を黙って見つめていた。
銀色に輝く長い睫が時折小刻みに震え、何か夢でも見ているだろう。
時折、溜息混じりの寝息を吐いては身じろぎをしてみせる。


無意識に神田の上衣の裾を握り締めるその様は、
まるで子供が親の温もりを求める仕草に似ていた。


――俺も大人げねぇな……こんな子供に欲情するなんて……


神田は夕べのことを思い出し、己のふがいなさを反省した。
アレンの唇に触れた後、その感触の柔らかさを心地いいと思った。
蒸気した白く透き通った肌からは、何ともいえないいい匂いがして、
そのまま口付けて貪りたいとさえ思ってしまったのだ。


アレンも抵抗する素振りひとつ見せなかったのだから、
そうするのが普通の流れにも思えたが、神田は不思議とそうしなかった。
自分の胸で泣きじゃくるアレンの頭を撫で
ひとしきり宥めてから軽いキスを落とす。
頬へ、目蓋へ、額へと順序良く優しくキスをしながら、
アレンが泣き止むまでその身体を黙って抱きしめた。


アレンに気持ちを打ち明けられ、
そのまま流れで抱いてしまう事に気が引けたのだ。
彼の弱みに付け込んだと思われるのも嫌だったし、
二人の関係を、ただ身体を繋げるだけのいい加減なものに
したくないと思った。


――マズイな……


神田は心の中で呟いた。
今まで、彼の見た目に惹かれ、言い寄ってくる奴など沢山いた。
男女問わず、恐れ知らずの輩がそれだけ沢山いたということだ。


端から自分に言い寄ってくる人間はアクマだと疑ってかかっていたため、
その誘いに乗ったことはないし、アクマではないと判っている相手でも、
その言葉に心を動かされた事などなかった。


第一印象が悪いほど、その相手を好きになってしまうと性質が悪いという。
それまで嫌だった分、
良い所を見つけてしまうと必要以上に良く見えてしまうからだ。
だからハマると抜け出せない。そんな話を聞いた事があった。


今の神田がまさにそれだった。
つい一昨日まではアレンのことを本気で疫病神だと思っていた。
なのに今のこの変わりようと言ったら、もう笑うしかない。
目障りだと思っていた彼の額のペンタクルですら、
可愛いと思えてしまうのだから……


額に張り付いた前髪を軽く梳き、その額を露にする。
透き通る髪の毛と、薄い皮膚の境目を誇張するような赤い傷は、
過去を背負った彼の標。
それは己の胸に刻み込まれた梵字と同じ意味を持つ。
背負った経緯は違えども、その重みは己のみが知る荷重なのだ。


自分がイノセンスを手にしたよりずっと前に、
彼はイノセンスと行動を共にしていた。
それがどんなに過酷な運命だったかは想像するに容易い。
神田は目の前にある彼の額に軽くキスを落とした。


「……んんっ……」


アレンが軽く身じろぎをする。
そして寝ぼけ眼で神田を見上げると、一瞬驚いたような顔をする。
だが、すぐに現状を把握したようで、ほんの僅かな間に嬉しそうな笑みを零し、
神田の胸に顔を埋めた。


「……ふふっ……」
「……なんだ?気色悪ぃ……」


口は悪いが、神田の言葉からは以前のような棘は感じられない。


「何か夢みたいです……神田とこうやって一緒にいられるなんて……」
「残念ながら夢じゃねぇ」
「良かった。夢なら醒めなきゃいいって思ってました」


心から嬉しそうなアレンを見て、神田の口元も自然に綻ぶ。


「初めて見た……」
「……え?何をですか?」
「……お前の笑った顔……」
「……え……?」


いつも笑ってるじゃないですかと小首を傾げながらアレンは神田を見上げる。


「ばぁか。嘘っぱちの作り笑いなんかじぇねぇ、本当の笑顔ってことだよ」
「……あ……」


アレンは顔を真っ赤にして、今度は照れ笑いを浮かべた。


「……気付いてたんですか……」
「当たり前ぇだ……俺がお前のことを嫌いだったのは、
 そもそもその作り笑いのせいだからな」
「えっ?そうだったんですか?」
「ああ、俺は嘘や作り事は大嫌いだ。
 嘘で取り繕って笑うぐらいなら、笑わない方がましだ。
 第一、相手にも失礼だろう」
「……ハハ……ですよね……
 って言うか、神田はそもそも笑ったことあるんですか?」


一瞬神田はムッとした顔をして、アレンの額を指で小突いた。
そんな些細な仕草さえ、アレンには嬉しく感じてしまう。


「じゃあ、神田の心からの笑顔……いつか僕が暴いてやります!」


自身ありげに自分を見つめる眼差しが、まるで大きな子供にみえて、
神田は思わず噴出しそうになった。
今まで、自分にこんな無防備に自分をさらけ出してくる人間などいただろうか。
そう思うと、目の前の少年がより一層愛しく感じてしまう。


「ああ、できるもんならやってみろ」


そう言った神田の顔が、心なしか微笑んで見えて、アレンは思わず顔を赤らめた。
そして、黙って俯いたと思うと、
さっきまでの元気が何処かへ行ってしまったかのような汐らしい声で呟く。


「ぜ……前言撤回です……」
「……はぁ?お前、いきなり何言ってんだ?」
「……だって……」
「神田の笑顔は眩しすぎて、心臓に悪いですから……」


アレンはもぞもぞと唇を尖らせた。


「そ、それより……今日はこれからどうしますか?」
「あぁ?こんな雨ん中どこへ行こうってんだ?」
「実は……ちょっと気になる事があって、街へ出ようとおもうんですけど」


瞬間、アレンの表情が微妙に曇る。
神田はその表情に一抹の不安を覚えたが、
二人一緒に連れ立って歩く事もないだろうと思い、
体調の事もあってアレンの帰りをのんびりと待つ事にした。


「この街には、昨日の輩みたいなのも多いからな……」
「へへ……ひょっとして心配してくれてますか?
 なんだかちょっと嬉しいな」
「馬鹿か?」


照れ隠しに軽くそっぽを向いてみる。
そんな神田の横顔を嬉しそうに見つめると、アレンは気をつけますねと付け加えて
神田の部屋を後にしたのだった。














天気も昨日に比べると少しばかり良いようで、
雨の勢いもさほどなく、小雨という表現の方が似合う程度の降りになっていた。
黒いマントの襟元をぎゅっと掴むと、フードを深々と頭に被せる。
アレンは神田の部屋の方を見つめると小声で『いってきます』と呟いて、
雨の街へとその足を進めた。


アレンが気になっていた事……
それはまだ自分が幼い頃、養父のマナと一緒にこの街の近くを通った時の事だった。


その日はもう日も暮れて薄暗くなってきていたというのに、
マナは何故かこの街に宿を取る事を嫌がった。


幼いアレンには、それがどういう理由なのか良く解らなかったが、
彼の言う事は絶対だったので、別に深く追求することもなく、
一つ先の町まで夜道を歩いた記憶があった。


その後同じ大道芸仲間から聞いた話では、
どうやらこの近くにマナの生まれ育った街があるらしいということだった。
それがどこなのかは解らなかったが、この近くであることには間違いない。
彼が昔仕事をしていたという酒場でなら、
もしかしたら何か情報が掴めるかもしれない。
そう思ったアレンは、思い切って酒場を訪ねる事にしたのだ。


いかにも場末のバーといった雰囲気の漂う古びた看板を目の前にして、
アレンは緊張のあまり、思わずゴクリと生唾を飲み込む。


さぁ、いくぞ。


そう思った瞬間、アレンはガタンと音がして開いた扉から出てきた人物を見て
驚愕のあまりにその場に立ち尽くしてしまった。


「……マ……マナ……?!」


大柄で人懐こそうな笑顔を湛えた男性は、
店の中の誰かに機嫌よく挨拶をしながら出てきた。
そして、目の前で固まっている小さな少年を軽く見下ろすと、にこりと微笑み、
そのまま脇をすり抜けて行ってしまったのだ。


目の前の光景がまるでスローモーションのようにゆっくりと流れていく中、
アレンはそれが理解できずに立ち尽くしたままだった。


他人の空似?
いや、そんな訳は無い。


一瞬たりとも忘れた事のない大切な人を、自分が間違えるわけがない。
でも、マナはあの日、確かに死んだんだ。
それも間違えようのない事実のはずで……


アレンは混乱する頭をどうすることも出来ず、
自分の横を通り過ぎる男に声をかけることすら出来なかった。


とにかく確かめよう。
そう思い立った時には既に遅く、男は何処かへ行ってしまっていた。
辺りを走り回ってみたところで、懐かしいその姿を目にすることはなかった。


どうして……どうして……?
……マナ……





降り注ぐ雨の中、アレンはただ呆然と亡霊の姿を追い求め続けていた。













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≪あとがき≫

長らくお待たせいたしましたm(_ _ ;)m
シリーズ第6話スタートです♪
これから話は後半に入ります〜D
さぁ〜てこれからアレンと神田はどうなるのやら??
続きをお楽しみにしていらしてくださいませ(≧∇≦)~~*















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Spiritual whereabouts      6
             
――魂の在り処――